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京都地方裁判所 昭和61年(行ウ)23号 判決 1991年2月13日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

村山晃

黛千恵子

稲村五男

川中宏

渡辺哲司

加藤英範

森川明

浅野則明

村井豊明

久保哲夫

飯田昭

荒川英幸

近藤忠孝

渡辺馨

桂充弘

岩橋多恵

深田和之

被告

京都府教育委員会

右代表者教育委員長

村上勝

右訴訟代理人弁護士

小林昭

石津廣司

大戸英樹

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和六一年九月三〇日付で原告に対してした分限免職処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同じ

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、中学校教諭の免許(音楽科)を有し、京都府船井郡園部町立園部中学校での半年にわたる臨時採用講師の経験を経て、昭和六一年四月一日(以下、特に記載のない限り、月日は昭和六一年をさす。)京都府船井郡八木町立八木中学校(以下、「八木中学校」という。)の教員として採用され、同校全学年合計一二学級全部の音楽の学科指導を担当するとともに、一年一組の学級担任をしていたものである。原告の採用は地方公務員法の規定による条件付採用であったところ、被告は、六か月の条件付採用期間を経過した九月三〇日付で原告を分限免職処分(以下「本件処分」という。)にしたが、本件処分はその理由がない。

2  ところで、原告は事前に事実関係について弁明の機会を与えられていない。

また、被告は分限処分の手続について、地方公務員法二八条三項に基づき「職員の分限に関する手続及び効果に関する条例」(昭和二六年九月一八日京都府条例第三二号)を制定しているが、条件付採用職員に関する条例は定められていない。条件付採用期間中の教員も右期間を経過した教員も実際の待遇上なんら違いがないから、条件付採用期間中の教員の分限にも右条例に定められている手続は履践しなければならない。そして、同条例二条一項には「処分を行うときには、関係者その他適当と認める者の意見を聞く等、公正を期さなければならない」と定められているのに、本件の場合、原告本人はもちろん関係者の中でも重要な意味をもつ原告の周りの教員の意見も全く聴取されていない。これらの意味からも本件処分は手続的にも違法である。

3  そこで、本件処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認め、同2のうち条件付採用期間中の職員の分限に関する条例が制定されていないことは認めるが、その余の主張は争う。すなわち、地方公務員法上免職等の不利益処分を行うについては、正式採用職員においてすら弁明の機会が保障されていないし、条件付採用期間中の職員については、正式採用職員に関する身分保障の規定(地方公務員法二七条二項、二八条一ないし三項、四九条一及び二項並びに行政不服審査法)の適用は除外されているから(地方公務員法二九条の二第一項)、原告について、「職員の分限に関する手続及び効果に関する条例」が適用される余地はない。

三  抗弁(本件処分の理由)

条件付採用期間中の地方公務員は、条件付採用期間その職務を良好な成績で遂行したときにはじめて正式採用となるものである。原告の任命権者たる被告は、後記1ないし5のとおりの事実関係に基づき、原告の条件付採用期間中の勤務実績が不良であり、教育公務員としての適格性を欠くものと認めたので本件処分により原告を免職した。

1  学級経営、学習指導等における自覚と責任感の欠如

(一) 生徒の出席簿記載の懈怠

中学校においては、義務教育における就学保障を図るため、生徒の出席状況を明らかにし、これを記載・保存することが義務付けられている。したがって、生徒の出席簿を記載しこれを累計し管理することは、教員の基本的な義務である。ところが、原告は出席簿の記録及びその累計整理を怠り、出席簿の杜撰な管理をしていた。このため、原告は、教頭又は出席簿整理係から再三出席簿の提出を求められても、本件処分までにこれを提出できなかった。また、原告が担任していた学級(一年一組)の一学期の通知表の出欠欄の記載が不正確であったうえ、通知表の評点等を整理して一覧にした学習成績一覧表の出欠欄の記載がなかった。原告は、校長から、学習成績一覧表の出欠欄を記入したうえ提出することを求められたが、本件処分までにこれに応じることもできなかった。

(二) 教科書及び学習指導要領を無視した教育姿勢

原告は、六月一二日、京都府教育委員会南丹教育局(以下、「南丹教育局」という。)の指導主事らが八木中学校を訪問した際、指導主事らに対し、授業において教科書は使用しないし学習指導要領に定められた楽器教育もしない旨発言した。その後、原告の音楽教育のあり方を危惧した校長から、年間指導計画書の提出を求められたが、結局これにも応じなかった。教科書に沿った計画的な学科指導を行ううえで、年間指導計画の作成は教師の基本的な義務であり、八木中学校においては、昭和六一年度当初の四月にその作成及び提出の申し合わせがあったのであるが、校長の指示にもかかわらず、原告のみがその作成をしなかったのである。また、原告は、右指導主事の訪問の際、予め校長から、同指導主事が傍聴予定の音楽授業の授業案を提出するようにも指示されたがこの提出も怠った。なお、原告は、実際にも本件処分までの間、ほとんど教科書を使用しないで学科指導をしていたものである。

(三) 試験問題の杜撰な作成

原告が作成した第三学年の一学期末試験の内容は、メロディーに歌詞を挿入するだけのものが大部分であり、学習の総合的理解を問う内容ではなかった。しかも、一部の学級に未学習の曲目を出題するという誤りを犯し、また試験問題自体にも多くの誤りがあった。

(四) 通知表及び生徒指導簿の杜撰な管理

原告作成の通知表には生徒の出席番号の記載も原告による押印もないという点で不備があったし、前記のとおり通知表の生徒の出欠状況の記載も不正確であった。生徒指導簿は、試験の評点をはじめ、指導計画、生徒の家庭状況、会計処理状況など学級経営全般に関する事柄を記載するため、公費で各教員に配布されているものであるが、原告は、殆ど生徒指導簿の記載をしていなかったため、通知表の評点の根拠となった客観的資料さえ残していないのである。

(五) 五段階評価法の無視

八木中学校においては、高校入試の際の内申点の基礎とするため、第三学年の生徒の成績評定は一定の基準で相対評価を行うこととなっており、七月三日朝の職員打ち合わせにおいてもその旨確認された。しかし、原告はこれを無視して第三学年の生徒の成績評定を行った。

(六) 不適切な学習指導

原告は、九月九日、男子生徒の授業妨害行為を理由として、三年生の授業を約五分で打ち切ったこともあり、また、その担任学級の生徒に対し、「ドアホー、お前ら人間か」などという放言をしたこともあった。

(七) 学級通信や学級日誌に関する問題

学級通信は、各学級の担任教員が作成し生徒に配布するもので、保護者を対象として計画的・継続的に発行されるべきものである。原告は、「学級だより」と称する学級通信を作成し、これを生徒に配布していたが、六月一〇日以降学級通信を作成しなかったもので、その作成に計画性・継続性がなかった。また、それまでに作成した学級通信の中にも誤字は多く、内容についても、特定の生徒を非難する内容の生徒記載の文章を匿名で掲載するという配慮に欠けるものもあった(五月一六日号)。

学級日誌は、生徒が輪番で毎日記載し、学級担任教員がこれを閲読し検印を行うものである。ところが原告は、五月八日以降殆ど検印せず、六月二八日以降学級日誌を閲読もせず放置していた。

2  教師(音楽教師)としての基礎的能力及び注意力の欠如

(一) ピアノ演奏の失敗

原告は、四月八日の入学式及び九月一日の始業式における八木中学校校歌斉唱のピアノ伴奏をする際、僅かの伴奏をしたのみでピアノ演奏を中断し、また、公開授業の際にも、しばしばピアノを弾き間違え、その都度「ごめん」という声を発していた。

(二) 誤字の問題

原告の漢字の筆記能力は極めて低く、辞書を参照する努力も怠っていたため、通知表、学級通信などの記載中には別紙誤字記載例一覧のとおり基本的な漢字の誤字が多い。

3  被告実施の研修に対する研修意欲の欠如及び反抗

(一) 京都府総合教育センター主催の新規採用職員研修に対する態度

原告は、京都府総合教育センターにおいて六月一〇日に行われた新任教職員研修「中学校新規採用教諭音楽科教育講座Ⅰ」を受講した際、受講後の感想文に、「とりたてて参考になった点、新たな発見はなし。わかりきったことおかしなことを聞かせるな。」「強制的研修はくそくらえだ。」などと述べており、任命権者たる被告が教育公務員特例法一九条二項に基づき実施する研修に対する真摯な態度が全くなかった。

(二) 研修ノート不提出

新規採用教職員には、研修精励を目的として研修ノートを記帳し、所定の期限までに南丹教育局に提出することが義務付けられている。ところが、原告は、校長や教頭が研修ノート閲読のためその提出を求めても、これを提出せず、七月九日には、教頭の研修ノート提出の督促を受けるや、「全く書けてへん。一一月に提出や。四月のことは忘れてしもた。」などと放言し、右提出期限である九月一七日までに研修ノートの提出をしなかった。本件処分の後に原告の机の中から発見された研修ノートにも、極めて杜撰な記載しかなされていない。

(三)レポートの不提出

原告は、七月三一日及び八月一日に南山城少年自然の家において行われた京都府総合教育センター主催の研修「新規採用教諭等一般研修(後期宿泊研修)」の際、事前に「学習指導」及び「生徒指導」についてレポートを提出する旨指示を受けていたが、この提出も怠った。

(四) 原告は、八月七日、同和教育に関する校内研修会にのぞむ際、参加者全員に討議資料提出の申し合わせがあったのに、ひとりだけその提出を怠ったばかりでなく、研修会の席上でも、「討議の柱に即し討議しても何のプラスになるんや。」と発言し、翌八日の学年別研修の席上でも、「今のような取組をやっていたら園中みたいな学校では持たへん。」などと、研修の意義を否定するかのような発言をし、教務主任教員から厳しく注意された。

4  上司の命令無視、服務規律軽視

(一) 宣誓書不提出

原告は、地方公務員として、その任命権者に対し宣誓したうえ宣誓書を提出する義務を負うが、宣誓書を提出しなかった。原告は、職員室において、「宣誓書を提出していないので、八木町教育委員会の言うことは聞かなくてよい。」などと発言したが、その後行われた八木町教育委員会と南丹教育局の事情聴取に対しては、逆に宣誓書は提出済みである旨の虚偽の事実を告げていた。

(二) 出勤簿押印の懈怠

原告は、四月当初を除き、出勤簿の毎朝の押印を怠り、教頭から注意を受けてもこれを改めず、後日まとめ押しする行為を繰り返した。殊に、六月二八日から八月二〇日にかけては、約二か月もの間出勤簿への押印を怠っていた。

(三) 年休届・旅行届等の手続の懈怠

原告は、年次休暇を取る場合、出張で八木中学校を離れる場合、遠隔地に旅行する場合、事前に所要の手続をすることを怠った。

5  教員としての節度の欠如及び勤務態度の不良性

(一)交通道徳の欠如

原告は、昭和六一年六月一二日、国道九号線で、わき見運転による追突事故を起こしたほか、校内において、数名の生徒の見ている前でしばしば大きな音を立てて車の急発進・急回転を行う等、交通安全教育に携わる教員にあるまじき行為を繰り返した。

(二) 禁止自転車の放置

原告は、八木中学校玄関前に、その使用にかかるドロップハンドルの自転車(生徒はその種の自転車での登校を禁止されている。)を長期間放置し、教頭から再三にわたり移動するように指示を受けてもこれに従わず、右自転車を二か月以上も放置していた。

(三) 職員室における粗野な態度

原告は、職員室において、バレーボールを床についたり、他の教員の机に腰を下ろして電話や雑談をし、自己の机の上に運動靴を置いたり、机の周辺に教材以外の大型楽器を置くなどの行為を繰り返した。

(四) 非常識な言動

(1) 原告は、職員室において、校長に対し「園部中に古いピアノがあるんや。八木中のピアノより上等や。校長はん、あれもろたらどうや。」などと上司に対する礼儀を欠いた発言をした。

(2) 原告は、六月一二日前記のとおり交通事故を起こし、この事故に関して九月一一日八木町教育委員会の教育長から口頭訓告を受けたが、訓告を受けて八木中学校に帰った後、職員室において、「教育長のバカヤロー、ドアホー。なぜあんなものが教育長なんや。行けというた奴も行けというた奴や。連れて行きよった奴も連れて行きよった奴やっちゃでー。そんなもの初めから謙虚な気持ちなどこれっぽっちもなかった。あのドアホ。教頭は物言うな。聞きとうない。俺もクラスで同じことをやったろか。クラスが無茶苦茶になるでー。」などと放言を繰り返した。

(3) 原告は、六月四日、八木町立神吉小学校体育館で行われた教育研究会の席上、議長の議事進行を非難するかのように、「もっとしっかりせえ」などとやじを飛ばし、出席者のひんしゅくをかった。

(4) 原告は、八木町教育委員会が同町のブラスバンド活動のため八木中学校の音楽室において会合をもとうとした際、自らは八木中学校の校舎管理権がないにもかかわらず、「音楽室は使わせない。」と言い張り、音楽準備室の鍵を自宅にもち帰った。さらに、原告は、同町のブラスバンドに関し、「とうしろうの指導するブラバンなど後で指導してくれといってもできない。」とか「ろくな指導者しかいないブラスバンドをなぜやるのか。」などという不穏当な発言をした。

(5) 原告は、職員室において、「正式採用が決定する九月まではおとなしくしておろう」などという極めて非常識・不謹慎な発言をした。

(五) 女性教員に対するいたずら

原告は、七月八日及び一六日、職員室において、成績評定作業中の女性教員の体に触り、同僚から叱責されるという常軌を逸した行為をした。原告は、それ以前にも八木中学校の複数の女性教員の体を触っていたものである。

(六) 服装の問題

原告は、Tシャツまたはポロシャツの上着にトレパンを着用して音楽の授業を行い、七月二三日の地域懇談会にも黒いTシャツを着用していたが、これらは教員にふさわしくない服装であったから、何度か校長から改善するように指導を受けた。しかし、原告は、これに応じなかった。

(七) 深夜のピアノ演奏

原告は、六月一八日午後一〇時頃、八木中学校試食室において育友会役員会が開かれている際、そのことを知りながら、階上の音楽室においてピアノを弾きながら大声で歌を歌い、大きな足音を立てて廊下を歩いたりもした。教頭の注意により歌声はやや小さくなったものの、原告の右行為は午後一一時頃まで続き、右役員会の役員のひんしゅくをかった。

以上のとおり、条件付採用期間中の原告の勤務状況は、学級経営・学習指導での怠慢がみられるほか、研修や服務規律を軽視し、上司からその態度を改めるよう指導されてもこれに従わなかった点が顕著であるから、教育公務員たる職務を良好な成績で遂行したものとは認められない。

さらに、前記事実全体から看取できるとおり、原告には組織の一員としての自覚が乏しく上司の指導や命令に従わない傾向、教育公務員としての自覚に欠ける傾向、すなわち自己本位で反抗的な性向が顕著である。教育公務員が、心身ともに未熟で人格形成過程にある生徒に対し、これを指導する立場にあり、保護者や地域社会の信頼にも答えなければならないという重要な職責にあることを考慮すれば、教育公務員たるものは、教員となった後も、常に教育実践現場において、周囲の教員の意見に耳を傾け、反省を繰り返し、教育者としての資質の向上を図らなければならず、決して独善に陥り、自己中心的な教育者となってはならないのである。しかし、原告には、管理者としての立場にある校長や教頭の指示、教育委員会の研修を「行政的な押し付け」としか受け取らない独善的傾向が顕著であり、教育公務員としての適格性に欠けるといわざるをえないのである。したがって、被告が本件処分により原告を正式採用としなかったことは正当である。

四  抗弁に対する原告の認否

1  抗弁1-「学級経営、学習指導等における自覚と責任感の欠如」について

(一) 抗弁1(一)のうち、原告が出席簿及び出欠欄記入済みの学習成績一覧表を提出していないことは認めるが、その余は否認する。原告は、真面目に生徒の出席簿を記帳していたものである。ただ、原告が出席簿の累計を誤ったため、出席簿の提出が遅れたのである。原告は、生徒の出席状況を明らかにするため非公式に正確な出席簿を作成していたのであり、生徒の出席記録の管理を怠ったことはない。

(二) 同(二)のうち、原告が年間指導計画書を提出していないこと及び指導主事の訪問の際授業案を提出していないことは認める。年間指導計画書については作成はしたが提出し忘れていたものであり、授業案については、校長から提出は必要でない旨の説明を受けていた。原告は教科書を使って授業していたし、楽器教育については笛の演奏指導を行っていた。

(三) 同(三)のうち、原告が一部の学級に未学習の曲を試験に出題したことは認めるが、このことをもって杜撰な試験問題の作成ということはできない。

(四) 同(四)のうち、原告作成の通知表に生徒の番号と原告の押印がなかったこと及び原告が支給された生徒指導簿を使用していない点は認める。支給された生徒指導簿を使用するか否かは各教員の裁量に委ねられており、原告は、自らの利用の便宜にかなった生徒指導簿を作成し、これに生徒の成績等を記入していたのであって、通知表の評点の客観的資料は管理していた。

(五) 同(五)の事実は否認する。

(六) 同(六)の事実は否認する。

(七) 同(七)の事実は否認する。原告が作成し担任学級の生徒に配布していた「学級だより」は、生徒の相互理解を促進する目的で、原告が自主的に生徒を配布対象として作成したものであり、被告のいうような保護者向けの「学級通信」ではない。なお、学級日誌への検印は学級担任教員の義務ではない。

2  抗弁2-「教師(音楽教師)としての基礎的能力及び注意力の欠如」について

(一) 抗弁2(一)の事実は否認する。公開授業の際何度かミストーンをしたことはあるが、しばしばピアノを弾き間違えたというようなことはない。また、入学式や始業式の校歌伴奏を中断したようなこともない。

(二) 同(二)については、原告が通知表や「学級だより」などに被告主張のような漢字の誤記をした事実は認める。しかしながら、漢字の誤記は誰にもあるもので、指導主事や教頭というベテランの教員もしばしば誤字を記載するものである。したがって、被告主張のような誤記をしたかららといって、直ちに原告の音楽教師としての資質に疑問があるとすることなどできない。

3  抗弁3-「被告実施の研修に対する研修意欲の欠如及び反抗」について

(一) 抗弁3(一)については、感想文に被告主張のとおりの文言を記載したことは認める。ただし、そのような感想文は、今後の研修内容の向上に資するため、受講者の意見を知る目的で提出されるべき性質のものである。したがって、その記載内容をもって、本件処分のような不利益処分の理由とすることは、教育委員会に柔順な教員のみを選別する「踏絵」として、研修の感想文が利用されることを意味する。そうなれば、教育委員会が実施する研修の内容が不十分な場合でも、率直な意見・感想を封じる結果となってしまい相当ではない。右文言をもって、本件処分を正当化することはできない。なお、原告記載の右文言は、当該研修の中の講義の内容が不適切と思われたこと、その研修の時期や課題の設定の仕方が教育現場の実態や生徒の実情を考慮しないで行われたと感じられたこと等の原告の疑問を表明したものである。

(二) 同(二)については、研修ノートを提出していないことは認める。

(三) 同(三)の事実は認める。しかし、原告は、指導主事が当該レポートの提出は必要でない旨述べたため、右レポートを提出しなかったにすぎない。

(四) 同(四)の事実は否認する。

4  抗弁4-「上司の命令無視、服務規律軽視」について

(一) 抗弁4(一)の事実は否認する。

(二) 同(二)のうち、原告が必ずしも毎朝出勤簿の押印をしていないことは認める。

そのような事態は八木中学校においては原告にかぎられたことではなく、出勤簿へ毎朝押印せず後からまとめて押印する教員も多かったのである。

(三) 同(三)の事実は否認する。原告は、病欠や八月の職員旅行の際、事前に休暇届を提出しなかったことはあったが、その他の場合は事前に休暇届を提出していた。出張届や旅行届については、校長や教頭の了解があれば、必ずしも事前に届け出の書面を提出する必要がない慣行であったから、原告がそれら出張届や旅行届の提出を怠ったということはない。

5  抗弁5-「教員としての節度の欠如及び勤務態度の不良性」について

(一) 抗弁5(一)のうち、原告が被告主張のような交通事故を起こしたことは認め、その余の事実は否認する。

(二) 同(二)の事実は否認する。

(三) 同(三)の事実は否認する。原告は、稀に職員室においてバレーボールを床についたことはあるし、原告の体育館シューズ用の下駄箱がなかったので職員室の机の上に体育館シューズを置いたことはあるが、これらは、特に粗野な振る舞いではない。

(四)(1) 同(四)(1)の事実は否認する。

(2) 同(四)(2)のうち、原告が被告主張のような交通事故を起こし、九月に八木町教育委員会の教育長から口頭訓告を受けたことは認め、その余の事実は否認する。

(3) 同(四)(3)ないし(5)の事実はいずれも否認する。

(五) 同(五)の事実は否認する。

(六) 同(六)のうち、原告がTシャツ又はポロシャツを着用したりトレパンをはいて音楽の授業をしたことがあるとの点は認めるが、校長から服装について指導を受けたことはない。

(七) 同(七)については、被告主張の日時・場所でピアノを演奏し歌を歌ったことは認めるが、これは、音楽の授業に備えての練習をしていただけであって、育友会の役員会を妨害するつもりは全くなかったものである。授業に備えてピアノの練習をしたことが、教育熱心といわれることはあっても、非常識な行動として非難される理由はないというべきである。

五  原告の反論

被告主張にかかる本件処分の理由は、服務規律違反等を主たる内容とするもので、かつその事実も存在しないが、仮に被告主張の処分理由が事実であったとしても、以下に述べるとおり、本件処分は極めて恣意的な判断及び手続によって行われており、公正な処分ということができない。

原告のような条件付採用の教員であっても、実際には正式採用教員と全く同一の職務を遂行し、同一の待遇を受けるものであり、六か月の条件付採用期間経過後は自動的に正式採用となるのである。しかも、教員の採用は厳格な考査を経ているから、条件付採用教員といえども、原則として教員としての適格性があると考えねばならない。したがって、仮に何らかの職務遂行上の問題があったとしても、指導・援助・研鑽を経て、この問題が徐々に克服されるべきであるから、僅か六か月の短期間で本件のような免職処分が行われるのは、職務遂行が著しく不良で、かつ将来の指導・援助・研鑽によってその改善が克服できないと客観的に認められる場合に限られるというべきである。本件処分は、後記のような原告の教育実践における熱心さを殊更に無視して行われているから、恣意的な判断材料に基づいて行われており客観性に欠けるものであって違法である。

すなわち原告は、その着任の当初から、担任学級の生徒がいち早く相互に打ちとけるようにと、作業が時には深夜にわたる場合もあったが、熱心に学級だよりを作成した。また、学級内でのいじめ問題にも熱心に取り組み、一定の成果を上げていた。殊に、四月に一人の生徒の傘や靴に対するいやがらせが行われた際には、積極的にこの問題に対処し、生徒個人間の問題としてのみならず、全校的ないじめに対する対応にまで高めたのであり、原告のこの点に関する生徒指導は高く評価されている。また、原告は、熱心に家庭訪問を行い、学習に遅れている生徒へ個人的な指導を行うなど学級経営に情熱をみせていたのである。原告は、音楽教育の面においても、教科書を基本としながらも、音楽をより親しみやすくするため適当な教材を選定・研究するという努力をしていたものである。

第三  証拠<省略>

理由

第一条件付採用職員の分限手続について

一請求原因1の事実は当事者間に争いがないところ、地方公務員法二二条一項は、臨時的任用又は非常勤職員の任用の場合を除き、職員の採用は、すべて条件付のものとし、その職員がその職において六か月の条件付採用期間を良好な成績で遂行したときに正式採用になるものとする旨規定している。この条件付採用制度の目的は、職員の採用にあたり行われる競争試験又は選考の方法が、なお、職務を遂行する能力を完全に実証するとはいい難いことにかんがみ、いったん採用された職員の中に適格性を欠く者があるときは、その排除を容易にし、もって、職員の採用を能力の実証に基づいて行うとの成績主義の原則を貫徹しようとするにあると解される。条件付採用期間中の職員は、いまだ正式採用に至る過程にあるものということができるのであって、右職員の分限につき、正式採用の職員の身分保障に関する規定の適用がないとされている(同法二九条の二第一項)のも、このことを示すものにほかならない(国家公務員についてこの趣旨を示すものとして、最高裁昭和四九年一二月一七日第三小法廷判決、民事裁判例集一一三号六二九頁参照)。

二しかし、条件付採用期間中の職員といえども、すでに競争試験や選考という過程を経て、現に給与を受領し、正式採用されることに対する期待を有するものであるから(同法二七条一項は、すべての職員の分限及び懲戒については、公正でなければならない旨規定し、恣意的処分を戒めている。)、右職員の分限に関し、一定の基準を設けても、その基準が正式採用の職員に比べて緩和されたものであるかぎり、許容されるものというべきである。同法二九の二第二項が、条件付採用期間中の職員について、条例で必要な事項を定めることができる旨規定しているのも、そのような趣旨と理解すべきである(前掲最高裁判決参照)。

ところで、京都府は条件付採用期間中の職員の分限に関する条例を定めていない。このような場合には、地方公務員の条件付採用制度と同趣旨の条件付採用制度を有する国家公務員法及び同法の規定に基づき条件付採用期間中の職員の分限について定めた人事院規則一一-四第九条に準じて、条件付採用期間中の職員の分限の当否を判断するのが相当である。

さて、右人事院規則は、条件付採用期間中の職員の分限事由として、当該職員に国家公務員法七八条四号に掲げる事由(官制若しくは定数の改廃または予算の減少により廃職又は過員を生じた場合)がある場合のほか、勤務成績の不良なこと、心身に故障があることその他の事実に基づいてその官職に引き続き任用しておくことが適当でないと認める場合には何時でも降任させ、または免職させることができる旨規定しているのである。ただ、右の分限事由のうち後段の事由の有無の判断はそもそも一定の評価を要するものであること、条件付採用期間中の職員に対する分限処分に関しては、法律により明文で行政的な不服申立方法が排除されていること(前記の地方公務員法二九条の二第一項)及び適格性を欠く職員の排除を容易にしようとする前記条件付採用制度の趣旨に照らせば、その分限事由の有無の判断については、任命権者に相当広い裁量権が認められており、任命権者(被告)の判断が客観的に合理性をもつものとして許容される限度を越えた不当なものと認められる場合にかぎり、その裁量権の行使を誤った違法があり、その分限処分が無効となると解するのが相当である。

以上に説示のところと異なる原告の法律上の主張は採用できない。そこで、以下においては、被告の主張する処分事由について順次検討し、本件処分が、被告に許された裁量権の範囲を逸脱して行われた違法なものであるか否かにつき判断する。

第二抗弁事実(本件処分の理由)について

一「学級経営、学習指導等における自覚と責任感の欠如」について

1  生徒出席簿記載の懈怠について

原告が、担任学級の出席簿と学習成績一覧表(担任学級の全生徒の各学科の評点や出席状況を一覧にした表)を学校側に提出していないことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、<証拠>によれば、(一) 原告は、昭和六一年度一学期が終了しつつある七月中旬以降、教頭から、同学期末までにその担任学級の出席簿を整理するように促されたが、同学期終了時までに各生徒の出席状況を集計し出席簿の整理を終えるという作業を行うことがなく、また、同学期末に、校長に対し生徒の出欠欄未記入の学習成績一覧表を提出したこと、(二)原告は、その後、教頭から八月末までに、整理した出席簿の提出をするよう促されたがこれに応じることなく、九月になってからも教頭から右出席簿の早急な整理及び提出を促されたが、出席簿の集計を誤ったと主張して新しい出席簿の支給を要求し、教頭から従前の出席簿を整理して提出するのが先決であると注意されながらも、結局本件処分までに右教頭の指示に応じなかったこと、(三) また、原告は、校長からも、学習成績一覧表に一学期の生徒の出欠欄を補充し再提出するように命ぜられていたが、結局本件処分までにこれに応じることもなかったこと、(四)八木中学校においては、各学級担任教員は各学期末毎に生徒の出席簿を集計・整理し出席簿整理係の教員を通じて校長に提出することになっていたが、これを怠っていたのは原告のみであり、原告は、本件処分があるまでの間原告担任学級の出席簿を整理しないまま保管し続け学校側に提出しなかったこと、(五) 原告担任学級の出席簿には、三六名の生徒中七名の生徒につき累計欄の記載ないし出欠の記入に誤りがみられ、また、原告が作成した担任学級生徒の通知表の出欠欄の記載が、三六名の生徒中八名の生徒につき右出席簿の出欠の記録と食い違っていることの各事実が認められる。

なお、<証拠>中には、原告が公給の出席簿とは別に生徒の出席状況を集計・整理した手控えを作成しこれに基づいて通知表の生徒出欠欄を記入した旨の部分があるが、同部分は前掲各証拠及び弁論の全趣旨に照らして採用することができず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、義務教育における生徒の出欠状況を明らかにすることは学校教育法施行令の要求するところであり、同法施行規則一二条の三は、校長に対し、在籍生徒の学習及び健康の状況を記録した指導要録及び出席簿作成を義務付け、これら書類を二〇年間保管することを定めているのであって、生徒の出席簿を整理しその出欠状況を正確に把握することは、学級事務を掌る学級担任教員の基本的責務である。また、同様に出席簿に従って正確な通知表の記載を行うこともまた当該教員の責務であるといわなければならない。しかるに、右の事実関係によれば、原告がそのような責務を果たしていないことがあきらかであり、さらに、出席簿の集計・整理などは熟練や特殊技能を要しない作業であるにもかかわらず、原告は校長や教頭から繰り返し行われた指示に従うことなく担任学級の出席簿を整理しないで放置していたものであるから、単に怠慢であるというにとどまらず、教員として必要な協調性や上司の適切な指示に従う姿勢にも欠けるものというべきである。

2  教科書及び学習指導要領を無視した教育姿勢について

原告が、六月一二日に行われた南丹教育局の指導主事による八木中学校計画訪問の際、指導主事に公開する予定の授業に関する授業案を予め提出しなかった事実及び原告が校長に対し音楽の年間指導計画書を提出していない事実は当事者間に争いがない。さらに、<証拠>によれば、(一) 原告は、右指導主事に公開した一年生の音楽の授業において、教科書を生徒達の椅子に置かせたまま殆どの授業時間を数曲の歌唱指導に費やしていたうえ、その歌唱指導の対象となった曲も教科書や学習指導要領から選曲されたものではなかったこと、(二) 指導主事は、右公開授業後校長室において行われ校長も臨席する事後研究会(事後指導)の席上、原告に対し、教科書の扱いや学習指導要領に定められた楽器演奏・音楽鑑賞の指導についてその意見を尋ねたところ、原告は「歌は耳から聞くものであって専門家を志す者でなければ必ずしも楽器演奏指導は必要がない。」とか「教科書は使用しない。」という趣旨の発言をしたこと、(三) 原告の右発言を聞いていた校長は、原告の教科指導のあり方を危惧し、原告に教科書や学習指導要領から逸脱しない学科指導の年間計画を立てさせることが必要と考え、原告に対し年間指導計画書を作成し直接校長宛に提出することを命じたこと、(四) しかしなから、原告は、八木中学校においては学科の年間指導計画書を校長に提出する慣行や申し合わせはないなどと主張して校長の右指示に従わなかったこと、(五) 八木中学校においては、四月の年度当初に年間指導計画書を作成し、これを学習進路指導委員会に提出する申し合わせが行われていたが、原告は、結局のところ、年間指導計画書を作成することもこれを右委員会に提出することもなかったことの各事実が認められる。<証拠>中には、原告は年間指導計画書を作成していたがこれを提出し忘れていた旨の部分があるが、弁論の全趣旨に照らし右部分は採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、限定された授業時間の中で、できるかぎり学習指導の成果を高めるために、綿密な年間指導計画を立てることが重要であることはいうまでもない。したがって、昭和六一年頃の八木中学校においては全教員が年度当初に年間指導計画書を校長に提出する慣行がなかったとしても、校長において、原告が新規採用教員であり、しかも、指導主事に対し学校教育における教科書や学習指導要領の意義に関する理解が十分でないと疑われるような発言をしたことを踏まえ、右事後研究会の後に、原告に対し、年間指導計画書の提出を指示したのは相当な職務命令であったと認められる。ところが、原告は、校長の指示に対して反抗的な態度を取り、校長が年間指導計画書を提出するように求めたにもかかわらず、正当な理由もなく右職務命令に違背したものである。

また、原告が指導主事訪問の際の公開授業においては学習指導要領指定の共通教材ではない曲の歌唱指導のみに終始し、指導主事に対しても教科書は使用しない、楽器の演奏は必要でないなどと発言していたことは、右認定のとおりである。そして、<証拠>によれば、(一) 松尾校長は原告の後任の音楽教師に対し「原告は教科書をどこまで進めたか生徒に聞いて調べ、生徒がまだ教わっていないところから授業を始めてほしい」旨指示し、右指示によりその教師が調べたところ教科書の曲目はほとんど教えられていなかったこと、(二) 学習指導要領には音楽指導の目的として「……器楽の喜びを味合わせる……」と定められ、全学年に通じ器楽指導が求められていることの各事実も認められる。これらの事実を併せ考えると、原告は日頃からも教科書や学習指導要領を無視していないまでも、少なくともこれらを軽視していたものと推認される。教科書の使用や学習指導要領は、個々の教員の恣意や独断を排し国民に一定水準の教育を保障するため学校教育法に基づいて定められ、教員に対し法的拘束力をもつことを考えると、原告の右態度を等閑に付することはできないものといわなければならない。

3  試験問題の杜撰な作成について

<証拠>によれば、原告が作成した第三学年一学期末試験の内容がメロディーに歌詞を挿入するだけのものが大部分であったことや特定の学級が未学習の出題があったこと、右試験問題中、①「かしの木大王の歌」の楽譜の変記号「b」は第三線に付すべきところを第三間に付し、②「モルダウの流れ」の楽譜一段目の最初の音符はニ音でなければならないのに変ホ音を記入し、③同楽譜二段目第四小節の最後の音符に歌詞「ひ」を脱落させているし、④同楽譜三段目第五小節から四段目第一小節にかけて音符と歌詞「ふるさと」が対応していない各誤りがあったことが認められる。

右認定の試験問題の誤りはその数も多く、音楽を専門とする教員としての素養や力量に疑問を抱かせる余地もなくはない。しかし、右各証拠によれば、その誤り自体は解答とは直接関係のない誤りであること、原告は試験当日に試験問題を履修していない学級の生徒に対して誤りを説明したうえ採点対象から外す措置を取っていることも認められ、このような事情も考慮すれば、原告の平素の授業内容や学校側の指導の内容等を斟酌せずに、このような出題のあり方のみを根拠として、原告の勤務成績が不良であったと評価することはできない。

4  通知表、生徒指導簿の杜撰な管理及び五段階評価無視について

原告作成の通知表の生徒出欠状況の記載が杜撰であったことは前記1のとおりであるところ、<証拠>によれば、(一) 原告は、一学期末に担任学級の通知表を作成する際、生徒の出席番号を記載せずかつ担任教員の認印欄に押印もしないまま、これを生徒に配布したこと、(二) 八木中学校は、年度当初、原告に対し、担任学級の生徒の状況や学習成績、学科指導を担当した生徒の試験の成績や評点、学級の集金事務の整理等を記録する「生徒指導簿」という帳面を支給したこと、(三) しかしながら、原告は、右生徒指導簿に殆ど記載をせず、学科指導をした生徒の通知表の評点の基礎となる客観的資料、すなわち生徒の試験成績や学習状況等の記録を残していないこと、(四) 八木中学校においては、原則として、いわゆる絶対評価に近い到達度評価によって五段階の成績評価を行っていたが、第三学年の生徒にかぎって、高等学校への進路指導や高等学校へ提出する内申書の記載のために、評点五と一を生徒数の約一〇パーセント、二と四を約二〇パーセント、三を約四〇パーセントとする内容の相対評価を行う旨の申し合わせがあり、七月三日の職員会議においてもその旨確認されていること、(五) しかし、原告は、他の教員が申し合わせどおりに相対評価をしているにもかかわらず、右申し合わせを知りながら、第三学年一学期の音楽の評点五と一を生徒数の僅か約二パーセントに、四を約三〇パーセントに、三を約四八パーセントに与える成績評価を行ったことの各事実が認められる。なお、<証拠>中には、原告は、公給の生徒指導簿が不便であったため、これにかわる私的な帳簿を作成、保管していた旨の供述部分があるが、弁論の全趣旨に照らし、原告の右供述部分は採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実及び出席簿整理懈怠等に関する前記1の事実によれば、原告の学級事務の処理が非常に杜撰であったことはあきらかである。また、第三学年の生徒の学科の成績評価は進路指導と深くかかわっているにもかかわらず、原告の成績評価は、他の教員と異なる基準で行われた疑いが強いというべきであるが、原告はこのような成績評価の基礎となった資料さえ記録として残していないのであるから、原告の学科指導や成績評価のあり方も非常に杜撰であるといわなければならない。これらの点は、原告の教員としての職務遂行の勤勉さを疑わしめる事情ということができる。

5  不適切な学習指導及び学級通信・学級日誌に関する問題について

<証拠>によれば、原告が九月九日の第三学年の音楽の授業中、男子生徒の一人から授業妨害を受け学科指導を短時間で打ち切った事実が認められるが、<証拠>には、原告は、授業妨害により学科指導そのものは行えなかったものの、その授業の残余時間を生徒指導に費やしていたとの部分もあり、右授業の打ち切りが原告の学科指導の責任の放棄であると認めるに足りる証拠がない本件においては、右事実を原告の不利益に評価することはできないといわなければならない。また、原告が担任学級の生徒に対し「ドアホー」等の暴言をおこなったという事実については、これを認めるに足りる証拠はない。

さらに、<証拠>によれば、原告が六月一〇日以降「学級だより」を配布しなかったこと、原告が五月一六日付の「学級だより」の中にクラスメートを非難する匿名の手紙を掲載したこと、五月八日以降学級日誌に殆ど検印していないことの各事実が認められるのであるが、「学級だより」への手紙の掲載の点は、教師としての裁量の範囲内であるとみるべきであり、「学級だより」の配布状況や学級日誌への検印の懈怠の事実のみから、原告に学級経営の熱意がなかったなどと決めつけるのは相当ではない。

二「教師(音楽教師)としての基礎的能力の欠如」について

1  ピアノ演奏の失敗について

<証拠>によれば、(一) 原告は、六月一九日の船井郡中学校教育研究会の公開授業で生徒の唱歌の伴奏としてピアノ演奏をした際、弾き間違えや生徒との呼吸が合わない部分で何度か「ごめん」などと発声していたこと、(二) 原告は、四月八日の八木中学校入学式で校歌斉唱のピアノ伴奏をした際、校歌の最初の僅かの部分のみ伴奏しただけでその後の演奏を続けることができなかったこと、(三) 教頭は、一学期の終わり頃、原告に対し、一年生に校歌の歌唱指導を行うように要請したが、原告は、九月一日の二学期の始業式で校歌斉唱のピアノ伴奏をした際にも、時々弾き間違えをしたことの各事実が認められる。しかし、<証拠>によれば、原告は、高校在学中からとはいえピアノの個人レッスンを受けて大学在学中も音楽を専攻し、主旋律を見れば容易に伴奏譜面を作成する能力があり、被告が実施した音楽教員採用試験においてもピアノ曲演奏や教科書教材の弾き語りの実技試験を受け、約五倍の競争率の中で合格したものであることが認められるのであるから、右公開授業のピアノ演奏に多少失敗したからといって、原告が中学校教員として有すべき音楽の素養や楽器演奏能力を備えていることを否定することはできない。また、右各証拠によれば、原告が入学式や始業式で使用した八木中学校体育館備え付けのピアノは相当老朽化して鳴らない音や戻らない鍵盤があるうえ、原告は入学式の際にはじめて体育館の備え付けのピアノを演奏したものであることが認められるのであるから、入学式の際のピアノ演奏の失敗をもって、ただちに原告が音楽教員としての素養を欠くものと断定することは酷である。

しかしながら、前記のとおり原告は音楽教師であり、ピアノの演奏に通じていたから、すこしでも予め練習しておれば、容易に校歌の伴奏ができたはずであるのに、中学校の音楽教師にとって重要な職務であるはずの学校式典における校歌の伴奏を二度も失敗したのである。前記のとおり体育館のピアノが故障していたことも、伴奏が上手くいかなかった原因の一つであったにせよ、音楽室には代わりのピアノがあったから、二学期の始業式のときにはその問題は容易に解消できたはずであり、二度も失敗したことをピアノの故障に帰することはできない。この点については、原告は自己の職務に対し極めて怠慢であったと評価されてもやむをえない。

2  誤字の問題について

原告が通知表、学級だより等に別紙誤字記載例一覧のとおり漢字の誤字記載をしていた事実は当事者間に争いがない。

通知表は学校が生徒の学習、行動の状況を保護者に対して通知する重要な文書であり、学級だよりは生活指導の一環として生徒が閲読する文書であり、いずれも作成に慎重を期すべき文書であるから、このような文書に右誤字記載が認められることは、原告の教員としての自覚の欠如を窺わせる事情であるといわざるをえない。

三「被告実施の研修に対する研修意欲の欠如及び反抗」について

<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

1  被告は、昭和六一年度の新規採用教員に対する研修を従前よりも充実・強化する方針をとり、研修期間を八月下旬ころまでとし、勤務時間中に行うべき研修として、二回の宿泊研修(前期宿泊研修が四月一日から三日まで、後期宿泊研修が七月三〇日から八月一日までの各三日間実施)、一一日間の勤務校研修(八木中学校では八月中旬以後実施)及び二日間の京都府総合教育センターでの研修(音楽担当教員については六月一〇日と六月二七日に実施)を行うとともに、研修に参加すべき各新規採用教員に対し、研修の趣旨や実施要領の説明を印刷し研修結果の要領記載欄を設けた「研修ノート」と題する冊子を配布し、各新規採用教員にその記載を促し、右研修終了後である九月中旬に各校長を通じて被告に提出する旨指示していた。

2  原告は、校長に対し、被告実施の右初任者研修への参加に乗り気でない態度を示すなどしていたが、六月一〇日の研修受講後に提出した感想文の中に、「とりたてて参考になった点、新たな発見はなし、わかりきったこと、おかしなことを聞かせるな!」「センターの主催するものはいりません。自分のしたい研修には責(ママ)極的に参加しますが強制的研修はくそくらえだ!」と記載していた(そのような記載があった事実は当事者間に争いがない。)。このような記載があったことを知った八木中学校校長は、被告実施の研修に関する考え方を把握するため、原告に研修に対する意見を記載した文書を提出させたところ、原告の意見の趣旨は、勤務校研修については形式的な押し付けの研修は無意味である、京都府総合教育センターの研修に付いては行政の立場に立った管理的な押し付けであるというものであった。原告の右研修に対する態度はその後も変らず、後記宿泊研修の際事前に提出を義務付けられていたレポートも提出しないで右研修に参加し、研修ノートも殆ど記載しなかった。さらに、原告は、七月九日、教頭から研修ノートの記載を促された際にも、「全く書けてへん、一一月に提出や、四月のことは忘れてしもた」などと言い放ち、研修ノートを九月中に校長に提出することも怠った。

3  原告は、八月七日、八木中学校において全教員を対象とする「同和教育研修」が行われた際にも、事前に提出を求められた課題を提出せず、討議の最中に研修の意義に疑問を差し挟む発言をした。

4  他方、原告は、京都府船井郡の六中学校の音楽担当教員が参加して毎月行われる中学校研究会音楽部会の教材研究会に参加し、率先して自らの授業を同研究会の参加者に公開していたし、それ以外に京都音楽教育の会が行う宿泊研究にも自主的に参加していた。それらの研究会は、いずれも勤務時間外に行われる教員の自主的研究会であって参加が義務付けられているものではない。

ところで教育公務員は、その職務と責任の重要性に鑑み、研究と修養に努める義務を負っており(教育公務員特例法一九条)、特に条件付採用期間中の教員については、任命権者の実施する研修に積極的に参加することを通じて、教員として最低限度必要な知識、技術を習得することが期待されているものというべきである。なるほど、右4に認定したとおり、原告は有志の教員による自主的研究会には自発的に参加していたものであり、さらに、弁論の全趣旨によれば、京都府教職員組合は、被告が昭和六一年度に長期間にわたり参加を義務付ける「新規採用教員等研修」の実施に反対の態度を表明していたことも認められる。これらの事実をも考慮すれば、被告実施の研修に対する原告の態度のみから、原告がおよそ研究や修養に努める姿勢のない教員であったということはできない。

しかしながら、前記認定事実によれば、原告には、自分が関心をもつ自主的な研究会には熱心に参加するが、被告ないし学校が主催する研修に対しては反抗的ないし否定的な態度を取るという放縦さが認められるし、また、教育公務員としては、研修への参加を命ぜられた以上は、教員は備えるべき知識、技術の修得や人格識見の向上のためにその機会を活用する姿勢が求められているというべきであるから、原告について、教員としての素養を高めるために研究や修養に努めようとする姿勢が十分ではないとの評価がなされてもやむをえない。

四「上司の命令無視、服務規律軽視」について

1  宣誓書不提出について

<証拠>によれば、(一) 地方公務員は採用されると、条例の定めるところにより服務の宣誓をしなければならず(地方公務員法三一条)、八木町ではこの法律の規定を受けて「職員の服務に関する条例」(昭和二六年条例第八号)を制定し、新たに職員となったものは、任命権者又は任命権者の定める上級の公務員の面前において、「憲法を尊重擁護し、全体の奉仕者として誠実且つ公正に職務を執行することを誓う」旨を記載した宣誓書に署名してからでなければその職務を行ってはならない旨規定しているところ、八木町教育委員会は、予め校長を通じて宣誓書、着任届、履歴書の各用紙を新規採用教員各人に配布したうえ、四月五日、右教員の就任式を実施した。ところが、これに出席した原告は、右宣誓書は朗読したものの、印鑑を持参するのを忘れたため右三点の書類全部を提出できず、右三点の書類を後日同教育委員会宛に提出する旨命ぜられたこと、(二) 原告は、五月に履歴書のみを同教育委員会に提出し、宣誓書と着任届は提出しなかったが、いつしか同教育委員会から特段の督促も行われなくなったこと、(三)ところが、原告が九月になって職員室において「自分は宣誓書を提出していないから教育委員会の指示に従う必要はない」などと発言したため、この発言に驚いた教頭が同教育委員会に対し、原告の宣誓書提出の有無を確認したところ、これが未提出のまま放置されていることが発覚したこと、(四) 同教育委員会と南丹教育局は、宣誓書未提出の事情を調査するため、九月二四日原告を呼び出したうえ未提出の事情を尋ねたが、原告は、宣誓書は校長を通じて提出済みであるとして未提出の事実を否定し続けたこと、(五) 本件処分の後、教頭が立会のもと、澤田雅文教諭が職員室の机の中の原告の所持品を整理する作業を行った際、右宣誓書が発見されたことの各事実が認められる。<証拠>には、原告は、五月中旬の校長不在の日に、前記三点の書類を校長室の机の上に置いてこれらを提出した旨の部分があるが、右供述部分は前掲各証拠に照らし到底採用し難い。なお、証人澤田雅文は原告の机を整理中宣誓書が発見されなかったかの如くに証言するが、その証言は極めて曖昧であって右認定を左右するに足りず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、右認定事実によると、原告が署名をした宣誓書を提出していない点は確かに条例に違背するもので、指示されながら宣誓書を提出しないという自らの怠慢を職員室で吹聴し教育委員会への反感を露骨に表現するなどという言動は、仮に教育委員会のあり方に反対する原告の個人的信条を冗談まじりに表現するものであったとしても、そのような個人的信条を表現する手段や状況に常識的な配慮が全くなく、極めて不穏当であるといわなければならない。しかも、原告は、任命権者である被告や八木町教育委員会から事情聴取を受けても、そうしなければならない特段の事情がないにもかかわらず虚偽の申告をしたのであって、このような態度は、公務員の服務規律を無視するものと非難されてもやむをえない。

2  出勤簿押印、年休届・旅行届等の手続の懈怠について

<証拠>によれば、原告は、被告主張のように、毎朝の出勤簿押印を怠り、また、年休を取ったり出張や旅行をする際に必ずしも事前に所要の手続を履践しなかったことが認められるが、<証拠>によれば、もともと八木中学校においては、従前から、他の教員によってもそれらの事務の懈怠がしばし見受けられ、そのような好ましくない事態がかなり長く続いていたこと、森教頭は八木中学校に着任した昭和六一年四月以降この事態を改善すべく教員に右事務の励行を促したが早急な事態の改善を図ることは容易ではなかったことが認められるのであるから、原告のこれらの懈怠をもって、ただちに原告の勤務態度の不良を非難することは酷である。

五「教師としての節度の欠如及び勤務態度の不良性」について

1  交通道徳の欠如について

原告が被告主張の追突事故を起こしたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告が、乗用車を運転して、十分減速しないで八木中学校の校内もしくは校門付近を走行していたことがあり、教頭がこれに危険を感じたことが認められるけれども、右追突事故は人身事故には至っていないし、校門もしくは校門付近での右運転態度についても、その状況や原告の意図が証拠上あきらかにされてはいないから、右認定の各事実から、原告の教師としての適格性を判断することは困難である。

2  禁止自転車の放置について

<証拠>によれば、原告が、森教頭から移動するように指示されていたにもかかわらず、八木中学校玄関付近にドロップハンドルの自転車(生徒には使用が禁じられている。)を長期間置いていた事実が認められる。右の事実は、生徒に対して規則を守ることを指導する立場にある教師として好ましいこととはいえないが、このことからただちに原告が生徒の生活指導に対する責任感を欠いていたと断定することはできない。

3  職員室における粗野な態度について

原告が職員室でバレーボールをついたり、机の上に体育館用の靴を置いたり机付近にアルトサックスを置いていた事実は当事者間に争いがないが、このような行為に出た原告の意図や、そのような行為が現実に他の教職員等の執務の妨げになったか否かは、証拠上あきらかではないから、右の事実から、原告の教師としての適格性について判断することは困難である。

4  非常識な言動について

(一) <証拠>によれば、原告は、六月一三日職員室において「正式採用が決まる九月まではおとなしくしておこう」などと発言し、七月一〇日にはやはり職員室において、体育館のピアノが老朽化していることに関連して校長に対し「園部中には八木中よりもましなピアノがあるんや、校長はん、あれもろたらどうや」などと発言したことが認められる。このような発言の真意は図りかねるところであるが、職場で勤務中に行う発言や言葉遣いとしては極めて不穏当であることは明らかである。

(二) 原告が六月一二日午後国道九号線で追突事故を起こした事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

(1) 右事故に関し、九月一一日八木町教育委員会の松本教育長から原告に対し口頭訓告処分が行われたが、原告は、右事故が物損事故であり事故後三か月も経過していたのに突然教育委員会から呼び出しを受けたことを不審に思い、その当時八木町教育委員会が京都国体に向けて進めていたブラスバンドの結成に八木中学校教員らが協力的姿勢を示しておらず教育委員会がそれに不満を抱いていた事情に鑑み、口頭訓告の呼び出しというも実は教育委員会が原告に対し右ブラスバンドの指導を要請するためではないかと疑い、不快感を持つようになった。

(2) すなわち、八木町教育委員会は、京都国体に向け八木町内のブラスバンドが必要と考えていたが、その当時、町内唯一の中学校である八木中学校にはブラスバンド部がなく、八木中学校側でも国体に向けて取り急ぎブラスバンド部を結成することにも消極的な姿勢であり、多額の予算を使ってブラスバンドを結成するよりも八木中学校体育館の老朽化したピアノを先に買い替えるべきだ等の意見を持つ教員もあるという状況であった。そこで、八木町教育委員会は、八木中学校に頼らず、その主導のもとにブラスバンドを結成しようとし楽器の購入や演奏者の募集等の準備を進めていたが、適当な指導者がいなかった。原告は吹奏楽を得意な分野とする音楽教員でその指導の適任者であったが、八木中学校校長は原告が新任教員で他にすべき事柄が多いと考え、原告を右指導に当てるべきでないとの考えを持っており、原告にブラスバンドの指導を勧めていなかった。また、原告自身も八木中学校全体の雰囲気からみてブラスバンドの指導を率先して行う気持ちにはなれなかった。原告は、八月二九日に八木町教育委員会主宰のブラスバンドの会合が八木中学校の音楽室や音楽準備室において行われることに反発し、同月二八日、森教頭に対し「音楽室は使わせん」とあたかも自分が音楽室等の使用の許否を決しうる立場にあるかのような発言をし、同月二九日にも、右ブラスバンドに反対する趣旨で、同教育委員会社会教育室長に対し「ろくな指導者もいないのにブラバンやるのか」などと厭がらせと受け取られるような発言もしている。

(3) 原告は、八木中学校教頭同席のもと松本教育長から口頭訓告を受けた席上、右事故は原告の全くの不注意から発生したにもかかわらず、冒頭から同教育長に対し口頭訓告を受けること自体に異論があると受け取られるような言動を示したため、同教育長から厳しく叱責されその態度を戒められた。教育長は交通事故に関する訓告のほかに、ブラスバンドについても原告の協力を促すような話もしたが、原告は、教育委員会が八木中学校や原告のブラスバンドに対する消極的姿勢を知りながら、ブラスバンドの件で協力を要請するために口頭訓告を利用して原告に圧力をかけるために呼び出したのだという不信感を払拭できず、教頭も八木中学校全体の姿勢に反して教育委員会の態度に同調しているという不満を募らせた。

(4) 原告は、口頭訓告を受けて八木中学校に帰った後も右のような不満の感情を押えることができず、九月一一日午後四時頃から三〇分以上にわたり、職員室において、室内の皆に聞こえるような大きな声で、「ブラバンをさせることがほんまの目的で呼んだんや」「この職場には汚い奴がいる」「なんで連れて行きよったんや」「新任教師育てる、何いうてやがるんや、くそたれー、閉講式でも行ったるか」「おれの言ったことと違うこと伝えてやがる奴がいる、あー汚ねえ、あー汚ねえ」「おれもクラスで同じことやったろか、クラスがむちゃくちゃになるでー」「何くわない顔して汚い事してる奴がいるわ、汚い奴や、信じられへん、信じられるかい」等、原告の教頭に対する反感を口汚く暗示する罵詈雑言を次々に口走り、他の教員もこれを止めさせることができなかった。その後午後六時を過ぎても原告の気持ちは収まらず、さらに職員室で大きな声で他の教員に対し、「教育長が最初からプレッシャーをかけてきよったんやー」「行けいうた奴も行けいうた奴や、連れて行きよった奴も連れて行きよった奴やでー、アホとちがうか、汚い奴やで」などと放言を並べたてたため、ついには教頭と激しい口論となった。

ところで、右認定事実にみられる原告の言動は、一般の社会人として非常識かつ異常なものである。ことに、右(4)のような職員室での発言の数々は、一時の激情に駆られ、自己の感情をコントロールできないで、教頭や教育委員会に対する反発を赤裸々に罵り立てる攻撃的かつ子供じみたものといわざるをえず、しかも、それらは生徒も出入りすることのある職員室において、かつ、他の教員の面前で場所をわきまえないで行われたのであるから、極めて悪質であり、最低限度の職場秩序の維持という観点からみても、そのような言動は許容される余地は全くない。原告の右認定の言動は、原告の教員としての適格性を疑わしめる重大な事実であるといわなければならない。

なお被告は、原告が六月四日の八木町立神吉小学校での教育研修会において、席上、野次を飛ばして出席者のひんしゅくを買ったと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

5  女性教員に対するいたずらについて

<証拠>によれば、(一) 原告は、七月八日午後七時二五分頃、職員室において、同僚の女性教員の身体を触り同女性教員が胸を押え悲鳴をあげたこと、(二) さらに原告は、七月一六日午後六時頃職員室において、同僚の女性教員の尻か足を触ったこと、(三) その際、いたずらを受けた女性教員は悲鳴をあげて立ち上がり職員室から逃げて行ったが、近くにいた田丸教諭が原告に対し、足の怪我が治っていない女性教員に対して何をするのかという旨の叱責をしたことの各事実が認められる。原告は右事実を一貫して全面的に否定し、<証拠>中にも右認定のような事実はなかった旨の供述部分があるが、それらは前掲各証拠に照らし採用し難く他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右のような原告の行動は、職員室で行われたことを考慮すれば、どのような意図で行われたにせよ、非常識極まりないものであって弁解の余地がない。原告の右の行動は、最低限度の職場秩序さえもわきまえないものというべきである。

6  服装の問題について

原告がTシャツ又はポロシャツを着用したりトレパンをはいて音楽の授業をしたことがあるとの点は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告が七月二三日の地域懇談会に黒のポロシャツを着用していたこと、原告はタオルを首に巻いたまま職員室から授業や担任学級へ出向いていたこと、原告が服装に関して松尾校長の注意を受けたことがあることが認められる。

ところで、およそ義務教育を担当する教員は、生徒の人格形成に関与し、生徒にけじめのある生活態度を身につけるよう指導する立場にあるから、このような教育者としての立場上、生徒の前では、場所、目的に応じてその場にふさわしい服装をすることが期待されており、生徒に奇異な印象を与え、ひいては保護者の学校に対する信頼を損なうおそれのあるような服装は、避けるよう留意すべきものである。もちろん、何がその場にふさわしい服装であるかについては、人によって価値観の差が存することも当然であるが、右に認定した事実によれば、原告の服装が非常識なものとはいえないけれども、服装に関して、原告に教師としての配慮が足りない面があったことは否定できない。

7  深夜のピアノ演奏について

原告が、六月一八日午後一〇時頃から一一時頃までの間、八木中学校音楽室において、ひとりで歌を歌いながらピアノの練習をしていたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、その頃音楽室階下の一階試食室では八木中学校育友会の役員会が行われており、右会合に出席していた教頭は、原告の足音、歌声やピアノ音が夜間にしては大きく会合の妨げにもなったので、原告に対しあまり大きな音を立てないよう注意したこと、原告は教頭の注意後少し音を小さくして練習を続けたが育友会の役員の中には原告の右のような夜間の練習を訝しく思う者もいたことの各事実が認められる。

しかしながら、右のような時間帯に原告が歌を歌いながらピアノの練習をしたことが育友会の役員らに奇異な印象を与えたとしても、これによって看過しえない不都合が生じたとは認められないし、<証拠>によれば、原告は、音楽教師としてピアノの弾き語りの技術を高めるために夜間練習をしていたものであると認められるから、右の事実から、原告の教師としての適格性について否定的な評価を下すことはできないというべきである。

六結論

前記一ないし五の認定判断を総合して本件処分の当否について検討するに、原告は、条件付採用期間中、生徒の出欠の記録や成績の管理が杜撰であったうえ、校長から提出を求められた年間指導計画書を提出せず、研修課題の提出を怠るなど、教員として果たすべき基本的な職務を誠実に果たさなかったものであるということができる。しかも、原告は上司から再三指摘を受けたにもかかわらず、このような勤務態度を改めようとしなかったこと、原告には学習指導の面においても基礎的学力不足や注意力散漫がみられること、原告は学習指導要領や教科書を軽視しまた服務の宣誓書の提出をことさらに怠り、職員室で女性教員にいたずらするなど教育公務員としての基本的な自覚に欠けること、さらに自己が交通事故を起こしたことで八木町教育委員会から注意を受けたときの原告の異常とも思われる言動に示された放縦な態度をも斟酌すれば、原告は、少なくとも公立学校教員としては不適格であるといわなければならない。

したがって、原告の条件付採用期間中の勤務実績は不良で、原告を教員として引き続き任用しておくことが適当でないとの判断は、客観的に合理性のあるものということができ、被告のした本件処分には、その裁量権を逸脱した違法はないというべきである。

第三むすび

以上の次第で、原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官下村浩藏 裁判官孝橋宏 裁判官橋詰均)

別紙<省略>

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